魔法使いの弟子
付け馬

付け馬の二
作品



一/二

  慶応三年。ある春日の夕刻。
  吉村が島田を介して山崎からの伝言を受け取ったのは、ルーチンの探索業務を切り上げ、屯所へ戻った際(きわ)の事だった。
  西日の差す監察部屋にて、目下探査中の浪士の動向を吉村が報告し終えると、島田は板の間に広げた洛中地図上で浪士に見立てた黒の碁石を動かしながら、
「んー、そう来たか…」
と、次の指し手に行き詰ったかのような唸り声を上げ、碁盤目状の道筋を睨む。地図を挟んで差し向かいに座する吉村は、申し訳なさ気に眉をひそめた。
「あまり有難くない局面ですね」
「ん?いやいや何のこれしき。大丈夫、すぐに引っ繰り返せますよ」
  顔を上げた島田の、何処か芝居がかった泰然振りに、
「島田さんは、どんなに形勢が不利でも、大丈夫って仰ってくださるから、つい安心してしまいますね」
  それでは、引き続き彼等の行動を押さえておきます、と、吉村は苦笑しながら付け加える。その表情 ―― つい先刻まで京という大舞台の奈落、胡乱な地下迷宮で暗躍していたとは思えない、透明感を湛(たた)えた笑顔 ―― は、瞬間、ちくりと島田の後悔を呼び覚ます。必然、島田は再び盤面へ視線を沈ませた。
「 ―― お願いします。すんません、人員減っちゃって暫く御一人で踏ん張って貰うことになるんだが…あちらさん方の動きが派手になってきたら、尾形さんか山崎さん辺り、援護に回って貰いますから。 ―― ああ、そういえば先刻、山崎さんから言伝を頼まれましたよ」
「?山崎さん?」
「あんたと丁度、入れ違いだね。何でも、斎藤さんから刀を預かってるそうで」
「え…?」
  斎藤さんが…と、一転して表情を曇らせる吉村に構わず、島田は上目遣いに気軽く語を接ぐ。
「どうやら山崎さんの処へ届いたようですな、まあ、離脱した矢先に直接屯所へってわけにもいかんでしょうから順当だ。今からでも引き取りに行ってやったらどうです?まあ、その様子じゃあ、どうやら斎藤さんの好意も有難迷惑だったようだが」
「!?…いえ、そんなことは…でもまさか、まだ覚えていたとは思いませんでした…」
  吉村は困惑し、軽く俯く。
「はは、確かに。もう一年前のことだからね。だが年月なんぞは関係ない、あんたに相応しい、と斎藤さんが判断した刀に出合えたのが、たまたま最近だったって事でしょう、律儀なお人だ」
「そんな…私はそんな、斎藤さんに刀を見立てて貰う資格なんて無いんです。島田さんだって御存知の筈じゃありませんか」
  吉村の悲痛な言に対し、
「資格、とな。まあ仮に、そんな大層なモノがあったとしても、それを決めるのは斎藤さんだから」
  島田は動じず、事の成行きを面白がっている風情だ。
「しかし、俺には解らんね、何をそんなに気後れする必要があるんだかなあ?大体が、あの斎藤さんが刀剣を選んでくれるなんて幸運、誰しもが在り付けるもんじゃないぜ?尤も、あの人自身は刀に拘りが無いようだが。名人ともなると筆を選ばんてことかね」
「…」
  まあまあ、そう暗い顔せずに、いってらっしゃい、と、島田はひらひらと手を振り、吉村を強引に室外へ追い遣る。
  そうして、脇の行燈に灯を点しがてら、
「…後は山崎さんに任せるとするかな…」
と、独り言ち、今度は白の碁石を握ると、地図上の黒石に対応する配置に並べ始めた。

  事は丁度一年前の春、吉村が島田に頼まれ引き受けた任務にまつわる、些細な出来事に端を発する。
  任務の内容は、隊備蓄用の刀調達へ赴く斎藤の護衛。無論、『護衛』と聞いた時点で、吉村が耳を疑ったのは言うまでもない。
  何でも先頃、斎藤と旧知の仲である備前鍛冶が、数打ち刀の在庫を捌きに遥々(はるばる)上京したという。
「無銘、大量生産の数打ちとはいえ、未来の名工、金の卵が鍛えたプレ名刀が混じっていないとも限らない。隊費で以て束で購入しておくのは悪くない考えですな」
  桜の大方が散った直後、大気中では花の香と新緑の香がせめぎ合いをする時節。その刀鍛冶が滞在しているらしい宿場へ向かう道すがら、島田の説明不足により状況が飲み込めず困惑気味の吉村に、斎藤は背景を補足した。
「玉石混交でしょうが、買い値によっては掘り出し物です」
  どうです、ちょっと面白そうな話でしょう、と少しく戯(おど)けた物言いに、吉村は素直に同意する。
「成程…それにしても、刀工が直接、刀を売ったりするものでしょうか?普通は刀剣商を通すと思うのですが…」
「さて、折り紙付きのブランド刀なら、正規の流通経路を通すのでしょうが。この不景気では、いちいち筋目を通しちゃいられない、弟子が練習がてら鍛えた鈍刀(なまくら)でも何でも、金に換えられるものは換えちまおう、ってとこなんじゃないですかね。マージンも取られないから実入りもいいでしょうし」
「…確かに。しかも、今の京ほど、刀の需要のある土地はありませんしね」
「そう、そして情報を嗅ぎ付けた何処ぞの藩連中が、我々と同じように動いても不思議じゃない。買い占められる前に先手を打ちたいところですな」
  出遅れれば、武器が手に入らないばかりではなく、知らず敵の武装力強化の片棒を担いでしまうことになる、と日溜まりの中、斎藤は僅かに眼を眇(すが)める。その様子を視界の端で認めた吉村には、斎藤が何処か苛立っているように思え、沈黙を避けるように会話を続けた。
「仰る事はよく解ります。…ところで、その刀打ちの方というのは、斎藤さんの古いお知り合いなんですよね?斎藤さんの口利きで、こちらへ優先的に刀を回して貰えるよう働きかけることは難しいのですか?」
「それが出来るくらいなら、島田さんはあんたを付けて寄越さないでしょう」
  斎藤は愉快そうに、並び歩く吉村へちらりと視線を流した。
「?島田さんからは、貴方を護衛するよう言い付かっただけですよ?少なからずの隊の公金を預かっておられるのですから、襲われでもしたら大変です…勿論、そんな心配など、するだけ無駄だってことは百も承知ですが」
  吉村とて最初から、斎藤程の遣い手の身を護(まも)るなど、おこがましく滑稽とさえ思っている。
「まあ確かに、懐はあったかいですがね」
と、斎藤は笑いながら胸元をぽんぽんと軽く叩いた。
「このまま高飛びしてしまいたい気もしますが、そしたら吉村さんが叱られるからなあ。 ―― あのー、そんな泣きそうな表情(かお)しないでくれます?別に逃げたりしませんから」
「!?す、すみません。いえ、あの、斎藤さんを信じてないわけじゃないんです、只、もし斎藤さんが逃げても、自分には止めることが出来ないだろうって考えてしまって、それで…」
  しどろもどろと正直に胸の内を曝け出す吉村に、分かってますって、と、斎藤は宥めるように言った。
「信用してないのは島田さんの方ですし、信用されない方が私としても気楽だ。 ―― 仮に、長州辺りが我々の持ち金の倍以上の金を積み上げたとして、それで奴(やっこ)さんが向こうに売りたいって言うんだったら、売ればいいんですよ。何も旧知の間柄ってだけで、私への義理に縛られる事はない。 ―― とまあ、私が指を銜(くわ)えてみすみす敵方へ戦力を流してしまうかもしれないってのが、どうにも島田さんはお気に召さないらしい」
「…」
「 ―― 今から会おうとしている男はね、吉村さん。佐幕も倒幕も関係ない、根っからの職人なんですよ。我々の都合を押し付けるべきじゃない。大体、刀打ちが直接、刀を商うって事態が既に世も末なんで…だからまあ、あんたは護衛と言うより、私のお目付けってとこですね」
  諦観を身上としているような斎藤の飄々とした物言いに、しかし吉村は必死に食い下がる。
「そんな…斎藤さんは隊創設時からいらっしゃるし、近藤先生の信頼も厚いし、故意に隊に不利益が被るような真似をする筈がないじゃないですか。それなのに島田さんは…」
「いや、島田さんはあれでいいんですよ。監察は疑うのが仕事ですから…吉村さん、あんた、つくづく…」
  斎藤はひょいと肩を竦める。
「監察向きに出来てないですな。前々から不思議に思ってたんだが…そもそも、何だってあんたみたいな人が監察部に存るのかねえ?」
「え?」

付け馬の二
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