Nameless Birds
番外 桜その二   -Days of Wine and Roses-

番外 桜その二の五
番外 桜その二の三
作品



四/五

「まあ、そそられる申し出ではありますがね。生憎、私も煙管だけは持ってまして」
  あんたのこれとは、到底比べ物にならない粗末な品ですが、と、斎藤が懐から取り出したのは煙管入れのみで、本来、対で結わえられている筈の煙草入れが見当たらない。
  それでは全く用を成さないではないか。そう言いた気な山崎に、
「江戸を離れる時、女に無理矢理持たされちまいまして。馬琴の話になぞらえてね」
  ―― 煙管を男に、煙草入れを女に擬人化した戯作の一節。ある道具屋の棚に並べられていた、恋仲の煙管と煙草入れ。だがある日、煙管は通人風の男に、煙草入れは吉原の女郎にそれぞれ買われ、哀れ二物は離れ離れになってしまう。だが偶然、その女郎の元へ、煙管を買った男が通うようになる。紆余曲折の末、男と女は夫婦となり、煙管と煙草入れも晴れて結ばれ、双方大団円となる。
「女てのは、我々には思いもよらないコトを考えついたりするもんだが、それにしたって、何ともいじらしいじゃありませんか、ねえ?」
  生憎、その手のセンチな世迷言には興味が無い、と山崎は眉根を寄せる。
  大体、手元に煙草入れを残して斎藤に煙管を託し、再び会えるよう願を掛けた女の気持ち、どうもこの男に通じているとも思えないのだが。
「てことですから、煙草入れだけ、頂戴するというわけにはいきませんかね」
  そうですか、まあ構いませんが、と山崎、対の小物を繋ぐ紐に手をかけようとして、
  ―― 間。
「 ―― ちょっと待て。それでは私が、こいつを君と別つことになるじゃないですか」
「御利益、ありますかね」
  また生きて会えるかもしれないでしょう、と飄々と言い放つ斎藤へ、
「虫唾が走るような思い付きは、何処か他所でやっていただきたいですな」
  危うく手渡すところだったと、山崎は件の品を懐に仕舞い込む。たとえ百年の酔いでも、一瞬で醒めるな、これは。
  態勢を立て直し、山崎は再び元のペースで杯を傾け始める。
「大体、験を担ぐタイプですか、君が」
「いやあ。だって、まだ私も死にたくはない。生きて帰りたいですからねえ」
  すがれるモノには、たとえ煙管にだってすがりたい、それが人情ってもんでしょう。斎藤の屈託無い苦笑に、言葉以上の含みは見当たらない。
「命を賭す覚悟もなしに、密偵が務まるとは思えませんね」
  対して山崎の声には、微かに黒い小石のような険が含まれていた。
「…」
  だが、斎藤は苦笑を手放さない。杯を満たそうとして、瓶子が空であることに気付き、再び新たな酒を脇に引き寄せている。その安穏とした所作が、山崎の苛立ちを更に募らせる。
  斎藤が口を開いたのは、ゆるりと三杯分の酒を、胃の腑へ行き渡らせて後のことだった。
「それは違いますね」
「違う?」
  山崎は一瞬、耳を疑った。
  ―― 斎藤の口から、否定の言葉を聞いた覚えなど、今まで一度も無かった。異議反論を持ち出すことはあっても、その言葉の射程距離は限りなくゼロに近く、独白に毛が生えたようなものだった。あの阿片の事件の時でさえも、この男は何も否定はしなかった筈だ。善悪も倫理も、正義という免罪符ですら、斎藤にとっては、他を測り己を測る時に生じる誤差に過ぎなかった。
  物事を否定しない代わりに肯定もしない、そこが斎藤の強さでなく弱さだと、山崎は見縊ってもいた。
  その男が、違う、とは。
「…」
「死にたくないから、生きていられるんです。死にたがる奴が生きていられる、そんな甘い世の中なら、新選組なんて最初っから必要ないんじゃないですかね」
「…君が精神論を語るとはね」
「あんただから言ってる。死ぬ覚悟ってのはね、生きているうちから、やたら身の丈に合わない都合良い妄想を死後の己に重ね合わせて、自己満足で活路を死に見出す、馬鹿な連中のすることだ」
「…」
「それに、もし命張ろうってんなら、その覚悟は伊東さんの為にとっとくべきでしてね」
  それと、あんた方を斬る覚悟ってのもある、まあ私には必要ありませんがね、と付け加える斎藤の眼差に、諦めの色が添えられているとするのは、山崎の思い過ごしか。
「覚悟なんざ決めなくとも、相手が誰であろうと、私は確実に殺します」
「…」
「大体、隊のためとか副長のためとか、そんな物騒な覚悟を携えて敵陣に乗り込んだ日にゃあ、相手さんも馬鹿じゃない、さっさと見透かされちまって、」
  即効これですな、と手で首を斬る仕草を真似ると、ふい、と何事も無かったかのように、酒への執心に戻る。
  その様子を暫く眺めてから、山崎は呟いた。
「…君は長生きしそうだな、実際」
「あんたは ―― 」
と、ここで斎藤の呟き返そうとした言葉は、珍客登場により断ち切られる。
「!?お、やっぱりここか」
  障子が勢い良く開き、顔を覗かせたのは斎藤と同朋の永倉新八。元来の鯔背(いなせ)な口調で、
「お楽しみを邪魔するようで悪いがね、山崎さん、副長が呼んでるよ」
  早いトコ馳せ参じなきゃ、機嫌損ねちまうんじゃねえですか、と無駄口を叩く永倉に、そうですか、わざわざありがとうございます、と山崎は礼儀として少しく微笑を返す。
  恐らく斎藤の件を詰める気でいるのだろう、即断即決、即実行の人だからな、全く。
  そうして。
「…まずいかな、酒の匂いがするのは」
  口の前に手を翳し、形ばかりの躊躇を見せる山崎に対し、
「どれ」
と、斎藤が口元に鼻を近付けてくる。
「今まで一緒に飲んでいて、判る筈がないでしょう」
  やはり馬鹿だな、君は、と山崎は呆れ、席を立った。


番外 桜その二の五
番外 桜その二の三
作品