Nameless Birds
番外 桜その一   -Lullaby Of Birdland-

番外 桜その一の四
番外 桜その一の二
作品



三/六

  田舎の方ではそうでもないが、江戸でも町中では浮浪児、孤児の存在は珍しくない。流行り病で親を亡くした、或いは家族と折り合いが悪く家を飛び出した、奉公先から逃げてきた…まあ、その経緯は様々だろうが、そいつらの辿る行末は大抵決まっている。掏り、置き引き、かっぱらい、等々あらゆる悪事の初級編で生計を立て、その後は盗人として一生食い繋ぐか、賭場に掃き溜まる極道崩れになるかで、大半は後者に流れちまう。何の教育を受ける機会も得ず、世の中の汚い部分だけ見せ付けられて純粋培養されれば、まあ真っ当な暮らしも遠のくだろう。
  だが。
  坂道を転がり落ちるように、只々荒んでいくのが決まりの境遇であるにしては、どうもこのガキ、ヒビキ(本名かどうかは怪しいもんだが、まあ便宜上)は連中とは毛色が異なるらしい。それに気付かされたのは、町を抜けて直ぐ、竹薮を掻き分けた先にある、今にも天井が抜け落ちてきそうなヤツのねぐらに通された時だった。
  周辺の土地が肥えていない所為か、恐らく持ち主に見放されたボロボロの空き小屋は、ガキなりに住み心地良くしようと心を砕いた跡が随所に見受けられる住処だった。腐った床は所々、修繕が成され、明かり取りの窓がくりぬかれ、粗末ながら煮炊きのできそうな竈(くど)も隅に設えてある。立派に自炊してるというわけか。
  だがそれより何より一番驚かされたのは、部屋の片隅に積まれた本の山だった。しかも女子供の好む御伽草子なんてもんじゃねえ、どれも医術の専門書、中には何列もの横文字が紙の上を、蟻ん子よろしく行進してるようなモンまである。正直言って俺にはチンプンカンプンの代物ばかりだ。
  このガキ、何モンだ、一体。
「触ってもええけど、元の場所に戻しといてな」
  唖然と本の頁をくる俺の背中に、一人前に茶など用意しながら、ヒビキが声をかけてくる。
「…お前、もしかして掏り取った金、全部こいつに替えてんのか?」
「んなワケないやろ。普段は盗みなんか働かんわ、それは知り合いの医者から本借りては、写させてもろてるヤツや」
「!?これ全部っ!?」
「ヒマだけはあるしな。ま、こっち来て茶でも飲んでや」
「…いただきます」
  …おい、事も無げに言うかよ。俺は狐につままれた気分で、そいつの用意した、縁の欠けた湯飲みに手を伸ばした、ちっとばかし緊張しながら。まさか狐の小便なんてことねえだろうな。
「んなにビクビクせんでもええやん」
  目の前でそいつが、さも可笑しそうに笑っている。今度の表情は、先刻のものに比べて子供寄りで、俺は少しほっとした。
「?心配せんでも毒なんか入ってないで」
「…お前、ここに一人で住んでんのか?」
「見たら分かるやろ」
  判り切ったこと訊いて、兄さんアホか、という心の声が聞こえてきそうな口調。
「親は?」
「おらん」
  間合いの早過ぎる返事。やっぱガキはガキだな、結構結構。
「?ん、何だあれは…?」
  二杯目の茶を注いでもらいながら、ふと薄暗い室内を見回す俺の視線の先に止まったのは、小さな黒塗りの鏡台だった。
  地は漆、鏡板の裏には枝垂れ桜が、五段ある引出し部分には散り落ちた花びらが金の象嵌により配された、凝った造りだ。しかも玄人使用のものか、雑多な化粧道具が収納されていると思しき、同様の施しの箱が二つ、鏡台の脇に控え、その上には大小様々な筆や刷毛が几帳面に並べられている。
「何だ、もう女がいるのか」
  早熟なやつだな。それにしても、何とも場にそぐわん、高価な品じゃある。
「ああ、あれは客のや」
「?客?」
  客ってのは?
「歌舞伎座の女形やて。こっから芝居座まで、案外目と鼻の先やから、来た日は大抵、ここで化粧して出掛けてくんやわ。傍で眺めてると面白いねんで、みるみる女に化けてくサマが」
「…」
  客ってそれはつまり…あれか。
  いや、カマトトぶってるわけじゃねえが、こいつと淫売がどうにも結び付かねえ。ああ、何てえ世の中になっちまったんだか。
  眼を白黒させ、絶句する俺に、
「霞喰って生きてるとでも思たんか?言ったやろ、盗みはせえへんて。兄さんの財布掏ったんは、あんまりスキが有り過ぎるから、腹立って手が動いただけや、少しは困ればええてな」
と、ヒビキがわざわざ眼前に顔を近付けてきやがった。げ、何で俺が後退んなきゃなんねえんだ!?もしかして、こいつの色香に気圧されてる!?
「へーえ、兄さん、よく見るとエエ男やんか。どうや、上方の土産話に、一つ試していかへんか?」
  これ以上近付いたら子供とはいえ殴る、という臨界前、間際ぎりぎりの距離まで寄ると、ガキはそれを見越したかのようにスッと身を引き、立ち上がった。
  まるで潮が引くように、艶を表情から掻き消し、男娼から只のクソガキに戻ったヒビキは、
「冗談や。金持ってへん輩は、ハナから相手にしてないて。何や兄さん、顔色悪いで?」
  ―― くそっ、完全に馬鹿にしてやがる。
  それでも、心底怒る気になれないのは、隙や弱さを封じた所作や表情と、小さな肩や細い手足とのかけ離れ方が痛々しく、哀れだからだ。誓ってほだされているわけじゃない。
  そいつは、何事も無かったように、積まれた書物の間から一枚の紙を探し出し、振り向きざま言った。
「ほな兄さん、作戦会議といこか」

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