Nameless Birds
番外 桜その一   -Lullaby Of Birdland-

番外 桜その一の二
作品



一/六

  どういう理由かこの町では、春の風物詩の一つに、桜、鶯と並んで、『身投げ』が平然と挙げられるらしい。
  程良く淀み、程良く温んだ雪解け水で川の嵩(かさ)が増すせいか、草花の放つ芳香を含む、甘い夜気に手招かれるのか。
  まるで飛んで火に入る虫のように、橋から人がぽとり、ぽとりと落ちるそうだ。
  ―― ろくな町じゃねえ、ったく。

「おーい、上がったでー!」
  淀川の中程に船を出し、竿で底を探っていた男の声が一帯に響くと同時に、川岸や橋の上に群がっていた野次馬から好奇のざわめきが上がる。まるっきり三文芝居の名場面に差し掛かった時の、観客の反応だ。
「新町の芸妓と両替商の隠居やて。ケッタイな組み合わせやなあ」
「そんなん、身請けしたらええ話やないの。銭なら有り余ってるやろ」
「それが家族にごっつう反対されたらしいわ、特に倅夫婦にな、その齢にもなって気色ばんで、世間に恥さらす気か言うて。ほんで死んであの世で一緒になりたいて」
「隠居はんの方はともかく、女子の方は未だ若いのに、何も道連れにせんかてなあ」
「いやいや、これこそ芸妓冥利に尽きるというものやないか。好いた男と添い遂げられん妓の行末なんか、言うてもしれてるやろ」
「そやそや」
  ―― くそっ、こいつらどういう神経してんだ。
  俺は土手の斜面に寝転んだまま、頭上の道を行き交う連中の戯言に呆れながら、何艘かの船が寄り合い、二体の仏が引き上げられる様を眺めていた。
「…」
  上方へ着いて丸五日しか経ってないが、この川浚(さら)いの光景を目にするのは、かれこれ三度目だ。長閑な春の青空、春の陽気に雲雀の囀りが加われば、眼下で繰り広げられる悲壮な筈のこの水上劇も、やけに白々しく水面に映えちまう。
  ―― 見慣れちまったってことか、結局は。
  何でも昨今、上方では心中、中でも身投げが大流行りとかで、往来擦れ違う人々の挨拶も切り口上は目下、天気か景気か心中か。何でもイベントにすりゃいいってもんじゃねえだろうによ。
  ま、どうでもいいけどな、俺には関係ねえ。
  そうして川から空へ、空から傍らのドでかい行李に視線を転じ、そこでがっくりと目を閉じる。
「…大体、無理があるんだよなあ…」
  控えめに言わずとも、俺は途方に暮れていた。
  事の成り行きはこうだ。
  俺の田舎は、江戸でも肥沃な土地と温暖な気候に恵まれた農村地域にあって、米は勿論、穀類や野菜、養蚕に使う桑の葉なんかが、そりゃもう馬鹿みたいに収穫できる。それ自体は悪いことじゃないが、問題は、んなユートピアじみた環境に浸り切った村の連中の、危機管理が退化しちまってるってことだった。
  話は昨年まで遡る。数十年に一度の冷害に見舞われたお陰で、その秋、村の実入りはさっぱりだった。長年、凶作なんて二文字に直面していない連中は落胆、混乱し、解決策をあろうことか、冬期の家伝薬作りに見出しちまった。売れるアテも無いのに、村中総出で何時もの十倍量の家伝薬を、せっせとこしらえやがったのだ。当然、そんな量の薬を、江戸近辺だけで捌き切れるわけがない。
『こんな時こそ放蕩者、ゴク潰しのお前が役に立ってみろ』
と、半ば強制的に、薬袋が鬼のように詰まった行李を背負わされた俺は、渋々、東海道を西へ辿りながら、途中の町や村で家伝薬を売り歩く羽目になったのだ。
  だが、行李の中の薬は一向に減る気配が無かった。終点である京に着いた時点で、捌けたのが十袋かそこらとは洒落にならない。仕方なく、一縷の望みを抱いて人口の多い上方まで下ってみたものの、ここでも薬は全く売れない。安値でもよいから、まとめて引き取ってくれないかと薬種問屋を回ってもみたが、何処でもすげなく断られた。
  そりゃそうだろ、こんな知名度の低い薬が売れるわけねえって。
  おまけに昨日は、雀の涙ほどだが売上の入った財布を、何処ぞのクソガキに掏り取られたし。あのガキ、今度見付けたらただじゃおか…
「おっさん!ちっと匿ってな!」
「!?」
  不意の子供の声に思わず飛び上がる。起きて振り向く間に、その、『ただじゃおかねえ』つもりのクソガキが俺めがけ土手を駆け下り、行李をひっくり返し中味を空にすると、その中にヒョイと身体を収めやがった。
  何だ何だ、一体。
  程なく、険しい形相をした着流しの若衆が数人、周りに目を配りながら橋を渡り、こちら岸へ向かって来るのに気付く。その視線の鋭さが、どうやら堅気でないことを物語っていた。
  ―― 仕方ねえな。
  面倒事は御免だ。俺は再び寝転んで、昼寝の最中の呑気な旅人を決め込み、奴等をやり過ごした。
  そういや、ここんとこ、喧嘩沙汰は自粛させられて御無沙汰だからなあ、成り行きがヤバくなっちまったら、切り抜ける自信がねえや。ま、却って、いい肩慣らしにはなるか、と、少しばかり面倒事になるのを期待もしていたが、正直なところ。

番外 桜その一の二
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