魔法使いの弟子
不言不伝(いわずつたえず)

不言不伝(いわずつたえず)の二
作品



一/三

  監察の役目は、猟師に付き従う犬のそれに似ている。
  途方も無く広い、人間の感覚では取っ掛かりすら得られない山中において、獲物の匂いを嗅ぎ出し、群れの構成や縄張り、健康状態を突き止め、気付かれぬよう風下から射程圏内へと猟師を誘導する。或いは、逆に獲物を藪や樹間から追い立て、見通しの良い狩場へと追い込み、猟師が駆け付けるまで威嚇して足留めを掛ける。だが、いずれにしても、猟犬の仕事は概ねここまでで、そこから先、獲物を仕留め、持ち帰るのはあくまで猟師、つまり一般隊士となる。
  ある晩秋の夜。無事、猟犬の役目を終えた山崎と尾形が、洛中の通りを屯所へ向かって歩いている。二人の手引きで出動隊が不貞浪士密合の現場に駆け付け、乱闘の末、浪士全員が捕縛されたのを見届けて後の、一足先の帰還である。
  冬の先駆けを思わせる曇天。月も星も見えない寂しい空だが、低く立ち込める雲に疎(まば)らながら人家の灯が反射し、僅かに闇の濃度を薄めている分、地上は仄明るい。二人の足下を照らす提灯の光の輪は夜気に滲み、少し先の景色まで薄墨の肌合いに染め付けている。
「やれやれ、毎回、これくらい楽だといいんだけどね」
  道行、尾形が白い息の下から感想を洩らした。血の気の多い浪士相手の捕物に臨む際、監察部では予め、こちら側の被害レベルも予測して事に当たる。今回の任務は嬉しい誤算、珍しく取り零しも無く、残務処理に煩わされる手間が省けた。
「あの隊はチームワークがいいなあ。井上さんの人徳の賜物かね」
  今般の夜勤に当たっていた井上の小隊は、目立って腕の立つ隊士のいない、可も無く不可も無くの地味な隊だ。が、井上の素朴で温厚な気質に因るものか、他の小隊長と比較して、どことなくぱっとしない井上を周囲の若人が盛り立てようと必死な分、結束が固く戦績も悪くない。と言って、間違っても井上が弱いわけではない。他の幹部連中が常軌を逸して強過ぎるのである。
「ウチも似たようなものだったりして」
  尾形がくくっと喉で笑う。
「?副長のことですか?」
「いや、島田さん」
  ああ、島田さんね、と並び歩く山崎も苦笑する。監察部内において、隊長と隊士といった階級の上下は存在せず、指示系統は直接の副長配下だが、実質的には暗黙の内に島田が一同を取り纏めている。
「ま、あの人は井上さんと違って、相当なタヌキだからね。僕等の操縦法を心得てるから叶わないや」
  尾形の敬愛の情籠(こも)りながらも無遠慮な物言いに、山崎は更に苦笑を深めるだけで否定はしない。
「そういや、この前のアレ、参っちゃうよねえ。僕なんか昨日、あの格好の島田さんに追い掛けられる夢まで見ちまった」
  あれはホラーだね、と尾形は大袈裟に身を震わせる。あの格好、とは、先日、監察部屋で島田が披露した飴売りの変装を指す。
  どうだ、今回は本物の飴売りに見えるだろう、と本人は会心の出来栄えのようで、自信満々、鼻息荒げに好反応を期待して皆を見回すも、
『…』
  その場に居合わせた監察全員が、笑いを通り越して引いてしまい、暫くは誰も口を利けない有様だった。それもそのはず ―― 厳(いか)つい巨漢が、赤い大黒頭巾に赤い袖無し羽織、顔にはこってり白粉と頬紅、首から風車の束をぶら下げ、鐘とでんでん太鼓を手に持つ姿は、なまはげでもこうは恐ろしくあるまいと思える代物である。結局、満場一致で否決、その格好のままで一歩たりともこの部屋から出ないよう、皆に念を押された。特に、
『廊下で誰かに会ったら、問答無用で斬られるかもしれません。くれぐれも出歩かないで下さい、いいですね!?』
と、吉村など、事態が化け物か妖怪退治へ発展しやしまいか、と真剣に案じている。散々の不評振り、仕方なく化粧を落しながら、子供には受けが良かったんだがなあ、とぼやく島田の背に、
『御自分の息子さんをモニターにしないように』
  鬼の顔を見ても笑う子です、参考になりませんよ、と山崎は冷やかに釘を刺した。その上、前代未聞、土方から直々に異例の変装禁止令まで言い渡され、がっくりと島田を落ち込ませた一件である。
「島田さんも懲りないよねえ。いい加減、諦めればいいのに」
  尾形の言葉に、山崎は僅かに肩を竦めて同意を示す。
「今まで、皆に及第点貰ったことってあったっけ?」
「 ―― 一度だけ。私は見ていませんが、確か僧兵姿は違和感が無かったと聞いています。でもやはり、外には出して貰えなかったようですが」
「僧兵?あ、そういえば服部君が言ってたなあ、弁慶の再来みたいだったって」
  でも町中じゃあやっぱり目立ち過ぎる、ありゃ変装じゃなくて仮装だね、と尾形はけらけら笑う。
  外部探査の際、洛中に散らばる密偵や情報屋を雇うなり、直に聞き込みに回るなりして情報を収集する分には、個々人の能力差はあまり無い。が、変装となると話は別で、得手不得手、向き不向きが監察の間ではっきりと分かれる。中でも、島田のような日本人離れした大男の場合、変装するしないに関わらず、闇夜に紛れはしても人波に紛れるのは物理的に不可能だ。たとえ乞食姿でこっそり橋の下に潜(ひそ)んだとしても、人目に付き過ぎ仕事にならず、下手すれば番所へ通報されかねないだろう。そんな現実に本人は今一つ納得していないらしく、飽くなき挑戦(と玉砕)を日々繰り返している。何処までも前向きな男だ。
  逆に、山崎や尾形は変装が上手い。体型からして変装向きで、山崎など一見、細面の優男であるから、商人や町人に化けても不具合無く、洛中の如何なる風景にも擬態する。その山崎より小柄、しかも童顔の尾形は、変装のレパートリーが更に広い。年齢(とし)は島田と幾つも変わらないくせに、町娘や小姓にも平気で化ける。
  ―― 島田が化け損ないの古ダヌキならば、尾形俊太郎はさしずめ変幻自在、老猾な猫又だろう。思わず喉元を指で撫でてやりたくなるような愛くるしい見目とは裏腹に、中身は豪胆にして辛辣。迂闊に指を伸ばせば根元からがぶりと噛み千切られること請け合いの、扱いには用心と覚悟が必要な化け猫である。博学で頭の回転も早く、早過ぎて山崎などは付いて行けないところがある。口も立つが剣の腕も立ち、その外見に油断し、心身共に痛い目を見る輩は後を絶たない。
  化け物の称号は島田さんより寧ろ、この人にこそ相応だな、と山崎は隣にちらと眼を走らせ、改めて心の内で苦笑する。
「?何?」
「いえ、別に。 ―― 今夜は冷えますね」
「?うん、まだ十月なのにね、この寒さは異常だよ。嫌だなあ、今年は雪が降るの早いかもしれない…うわっ」
  屯所へ向かう最後の角を曲がった途端に吹く向かい風に、尾形は身を竦め、襟巻き代わりの手拭を首元へ掻き寄せた。どうやら寒さが苦手な性質(たち)らしい。
「…」
  山崎は眼を細めて突風を遣り過ごす中、その肌を刺す風に雪の匂いが混じっている事に気付く。雪は今夜にも降るに違いない。が、その確信を尾形に伝える気にはなれず、黙って残りの歩を進める。
  やがて屯所に到着し、山崎は木戸番の居る表門へ回ろうとした。と、
「近道しよう」
  尾形に裾を引っ張られ、強引に裏口の方へ方向転換させられる。尾形の次の行動が容易に察せられ、山崎が露骨に顔をしかめるのへ、
「何、まだ気にしてんの」
  尾形は横目でにやりと笑った。

不言不伝(いわずつたえず)の二
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