魔法使いの弟子
監察と卵

監察と卵の五
作品



おまけ(ちょこっと後日談(?))

「 ―― 良い品だねえ」
  古道具が所狭しと居並ぶ土間から帳場への道筋、冷え切った上がり框に腰掛け、斎藤は本日、何度目かの溜息を付く。手には件の根付、掌中の玉ならぬ卵の姿形を飽きもせず、愛(め)で慈しむこと半日余り。薄暗い店先で尻に根が生えたかのように居座り続ける客を、店の主である老人は煙管片手、帳場格子の向こうから呆れ顔で眺めている。
「…それにしたって、あんたも物好きだねえ」
  長い付き合い故、斎藤の奇行には慣れているつもりの主人だが、それでもこの馴染み客の若輩らしからぬ偏屈さは、時折手に余る。五十年近く古道具屋を営む彼の鑑識眼を以ってしても、一体何処で身に付けて来たのか、実齢相応の外見(みかけ)を裏切る老成感の出所来歴は依然、不明のまま。この手の商売、店の品も客も胡散臭いのは当たり前だが、中でも眼前の若者は出色の珍品に値する。
「そいつは確かに、一玉(いちぎょく)の銘を切っちゃあいるが、 贋物かもしれんのだぜ?何せ、一玉の作品は殆ど残ってない上、根付となると、拵えたっていう記録までサッパリだからな」
  卵の根付に魅入られた斎藤が足繁く店に通い始めて以降、この台詞を口が酸っぱくなる程に、繰り返し言い聞かせてはみるのだが、
「こんな場末の古道具屋で一玉を扱ってるって時点で、既に充分眉唾ものですぜ、御主人」
  当の本人は何処か夢現(ゆめうつつ)、てんで正面(まとも)に聞く耳を持たない。
「俺は何も、真贋を裁きたいわけじゃない、そんなのは一家言お持ちの偉い先生方に任せておけばいいんでね。こいつが一玉の作だろうとなかろうと、良い品である事実に変わりゃしませんよ。 ―― だが、この鷺(さぎ)の羽毛の艶めきといい、葦葉の露の含み具合といい、花鳥を彫らせれば右に出る者無し、と謳われた奴さんの技と判じたところで、目下、不足は無いと思いますがねえ」
  斎藤の詭弁に、何でえ、やっぱり信じてんじゃねえか、と聞こえよがしに呟く主人。
「そりゃあ、一玉の刻んだ花には蝶が群がり、彫った鳥には鷹が襲い掛かる、て逸話は有名だがね。しかしねえ、斎藤さん。とかく伝説が多い人物ほど、信憑性は薄くなるのが世の常ってもんだよ。実の所、一玉が実在したかどうかさえ定かじゃねえんだ。せめて、寺社に奉納した彫物より他に、簪(かんざし)や印籠なんかが二、三でも出てくりゃあ、確かめる手立てもあるんだろうが。生憎と実用品は残り難(にく)いからなあ…お、ちょいと御免よ」
  机上の電話が鳴り、主人はひょいと受話器に手を伸ばす。
「…」
  会話の途切れに乗じ、斎藤は根付を桐箱に収めると煙草を取り出し、店先で粘る客用に据え置かれた鋳物の灰皿を、ごとりと引き寄せた。

「…やれやれ、すまんね。話の腰を折っちまった」
  斎藤が三本目の煙草に火を点ける寸前に受話器を置いた主人は、小休止中の客へ再び向き直る。
「使いに出してた、うちの若い衆から無事先方に届けたって連絡でね…ああ、斎藤さんには未だ言ってなかったっけ。や、こいつはひょっとして、あんた好みの話かもしれねえな。実は…」
  実はこないだ、とある地方の旧家で蔵一棟を丸ごと浚(さら)う機会があってね、と立ち上がり、背後の帳場箪笥の引出しを掻き回し始める。
「…ああ、あった、これこれ。 ―― ほれ、こんな品が出てきたんだがね」
  なかなかの掘り出し物だろう、と自慢気に主人手ずから斎藤に渡したのは、一枚の写真。主人は帳場へ戻らず、そのまま斎藤の傍らに座を占める。
「…?」
  斎藤は未使用の煙草を咥えたまま、ライターを握っていない方の手で写真を受け取ると、まじまじと眺めた。
「?人形…いや、からくり人形かな。珍しいね、へえ…写真で見る限り、状態も悪くない。時代はあまり古くなさそうだが…」
「恐らくは明治初期、古く見積もっても、精々が江戸末期てとこだろう。今日、分析屋に預けたばかりでね、結果次第で製作年代の幅はもうちっと狭められる筈だ」
「今の電話がそれですか」
「ああ、この手の搬送は危なかしくて、業者にゃ頼めねえからな。いや、それよか、誰の作だと思うよ?」
  常ならば売り物に対し心を動かさない主人の、弾む口調、浮き足立つ様に、斎藤は少々引き気味、眉根を寄せる。
「は、はあ…悪いけど俺、こういうのはあまり詳しくないんですがねえ」
「いーや、詳しくねえあんたでも、絶対に知ってる名前さ」
「へえ?いや、ホントに判らんですね、降参です」
  斎藤の淡白な返しに、ちぇっ、つまんねえな、と主人は張り合い無さ気に顔をしかめ、とんとんと写真を指先で打つ。
「そんじゃあ、聞いて驚くな?こいつは大河内弁左衛門、あの『からくり弁左衛門』の弓張り人形さ。どーだ、参ったか」
「へ…」
  斎藤はぽろりと口から煙草を落とした。が、次の瞬間には、
「こいつは傑作だ、面白い冗談だねえ」
  全く、何を言い出すのかと思えば、と笑いながら煙草を拾い、咥え直すと火を点ける。
「弁左衛門こそ実在したかどうかも判らない、謎の人物じゃないですか。名前の方は戯曲や講談で御馴染みだが、いざ実際の人形となると、現在、確認されているのは二体のみ、そのどちらも博物館でガラスケースの中だ。しかも、奴さんが活躍したとされるのは江戸中期、確か安永頃でしょう、まるで年代が合わない」
「ああ、その通り。ところが、だな」
  板の間に放り置かれた斎藤の煙草をちゃっかり失敬し、主人は抑えきれぬ興奮を煙と共に吐き出す。
「ところが最近、弁左衛門は一人じゃなく、何人か存たんじゃねえかって説が持ち上がってるんだ、非公式にだがな。つまり、弁左衛門は一代で終わっちゃいねえ、何代か続いてたんだと」
「へえ、そいつは初耳だね。いや、そうなると世紀の大発見ってわけだ。あんたの人生、狂うかも」
  斎藤はにやにや笑い、こちらの御託も正面(まとも)に取り合わない。が、
「ちぇっ、馬鹿にしやがって。そんじゃ何かい、あんた、一玉は信じても弁左衛門は信じねえ、てのか」
「や、それもそうだな。俺の中では、弁左衛門はどうしてもフィクションのイメージが強いんだが、うん、確かに…信じる信じないは、惰性に因る所が大きいからなあ…」
  周囲が拍子抜けするくらい、およそ己の意見に固執しない斎藤は一転、今の発言は撤回しますよ、と一人頷き、考え込む時の癖で、燻らす煙の行く末をぼんやりと眼で追う。
「…その人形、箱の中に入ったまま写ってますが、取り出せないんで?」
「いや、外見(そとみ)には傷も虫食いも無えし、大丈夫とは思うがね。何せ只の人形とは訳が違うからな、無理に動かして、万一、中の機械が壊れちまっちゃ元も子も無い。その辺の判断は先方に任せてあるんだ」
「へえ…で、製作年代を正確に割り出せたとして、これが弁左衛門の作ってのは、どうやって証明出来るんですかね?」
「そこよ。正直な話、詳しい事は俺にも解らん。只、あんたが先刻(さっき)見てた根付より、桁違いに情報量が多いのは強みらしいがね」
「?」
「根付は大方が象牙や木の単体だが、からくり人形は動力部だけでも、木やら真鍮やら、絹糸、鯨のヒゲなんかの、色んな材質の寄せ集め、複合物だからな。まずはX線で大まかに全体像を把握して、調査に耐えられるか、未だ動く状態にあるかどうかを確かめてから、内部の構造(つくり)を今在る二体と比較すんだろう。後は、各パーツをバラして成分を元素単位で分析するか。それにあれだ、人髪を使った人形の髪なんかは遺伝子解析で個体識別まで出来ちまう時代だからな。出所の追跡は、そう難しくない筈だぜ?」
  主人の一息の解説に、斎藤は目を丸くする。
「 ―― こいつは驚きだ。時代錯誤が生業のあんたの口から、元素だの遺伝子だのって単語を聞く日が来ようとはね」
「いや、今のは全部、若い衆の受け売りさ。言ってる俺にもよく解らんのだ」
「鑑識顔負けの科学的調査ですよ、それ。確かに、得られる情報は多いだろうね。成程、証拠に証拠を積み上げれば、真実に手が届くのは時間の問題、か…だけどまあ、謎は謎のままで置いときたいって気もしますがね」
  斎藤の茫洋とした呟きに、主人は思わず吹き出してしまう。
「やれやれ、解けるかもしれねえ謎を前に、みすみす手を付けねえとは、それこそ探偵稼業が生業のあんたが言う台詞じゃねえよ」
  斎藤はひょいと肩を竦めた。
「全く以って同感です。たかが人形一つに、そこまで調査追跡する執念も熱意も、俺には無いですよ。きっと、あんたの方が探偵に向いてる」
「それじゃあ、明日から雇って貰って、その間、ここの店番をあんたに任せるかねえ?」
「ああ、御安い御用です。俺には日がな一日、古道具に囲まれて過ごす方が性に合ってるよ」
  そこで再び電話のベルに呼ばれ、やれやれ、忙しないねえ、と主人は帳場へ舞い戻る。
「はい、もしもし…おや、山崎君、久し振り。何だい、相変わらずシケた声じゃねえか。え?…ああ、居るよ、替わるかい?…ああ…ははは、お前さんも苦労するねえ…よし、分かった、伝えとくよ。…ああ、お前さんも、たまには顔見せに寄ってくれな。…はい、御免よ」
  チンと受話器を置き、主人は三度(みたび)斎藤に向き直った。
「おい、山崎君が至急戻って来いだと。沖田刑事が事務所で待ってるってよ」
「?沖田が?…あ、忘れてた」
  だが、言葉とは裏腹に焦る様子も見せず、斎藤は壁の時計を見上げ、ゆっくりと煙草を揉み消す。
「そういえば三時に打合せの約束してたんだった。もう五分過ぎか…山崎君、怒ってるだろうなあ」
「相変わらず沖田君、まめに仕事回してくれてんじゃねえか。涙ぐましい友情だねえ」
「いやホント、彼には足向けて眠れませんよ」
  心にも無い事をいけしゃあしゃあと言ってのけると、斎藤は漸く立ち上がる。
「そんじゃあ、ぼちぼち俺はこの辺で。お邪魔しました」
「ああ。 ―― そういや、あんた、携帯持ってねえのかい」
「持ってますが、持ち歩く習慣は無いですね」
「それじゃ意味がねえだろ」
  呆れ返る主人に、斎藤は笑って言った。
「携帯無くったって、こうやって俺の行動把握されて、簡単に首根っこ押さえられるんだから、必要ないでしょうよ。 ―― あ、伝言頼まれてたのも、危うく忘れるとこだった。大晦日の晩は空けておいて下さいよ、御主人」
「はあ?」
「店でカウントダウン・パーティーするそうです。俺、迎えに来ますから」
「けっ、何でいちいち、俺がそんなもんに顔出さなきゃならねえんだ」
「新(あらた)ちゃんから、耄碌(もうろく)ジジイを棺桶から引き摺り出してでも連れて来いって、直々に勅命が下されてるもんで。あんたを同伴しなきゃ、俺が殺される」
  主人唯一の泣き所、黙っていれば、すこぶるつきの美人である孫娘の名を場に出されると、流石に主人の威勢も儚く潰(つい)える。
「…ちぇっ。若い娘っ子が何てえ言い草だ、ったく」
「ホント、誰に似たんだか。 ―― ありゃ絶対、隔世遺伝ですぜ、島田さん」
  斎藤が帰った後、島田は一玉の根付を陳列棚へ戻すと、帳場の定位置に腰を落ち着け、手慰みを再び紙巻煙草から煙管に切り替えた。大時代の喫煙具は、古道具屋の主らしさを醸し出す為の小道具であり、その使用は単に懐古趣味の客を喜ばせる演出に過ぎない。
「…」
  証拠に証拠を積み上げれば、真実に手が届くのは時間の問題 ―― 先程の斎藤の言葉を心中で反芻し、煙を吐く。
「…証拠ねえ」
  証拠といえば、これほど確実な証拠も無いかもしれねえな。島田は帳簿机の引出しから一枚の写真を取り出し、ゆるりと眺める。
「…」
  それは件のからくり人形と共に箱に収まっていた、B5版程の大きさの古い白黒写真である。からくり用に施された遮光及び防腐処理の恩恵を被り、奇跡的に変色や虫食いの被害を免れたようで、状態は良い。何とはなし、分析に回す気になれず、箱から抜き出し己が手元に留めている『証拠』の一片には、十人前後の武士らしき若者の姿が賑やかに写し出されていた。
  人物の風体から、からくり製作と同時期に撮影されたものと推測されるが、当時の写真にしては驚く程鮮明で、被写体の表情や息遣い、場の空気までをも忠実に写し擬(なぞら)えている。露光時間が極端に短いのだろう、想像するところ、からくり以外の機械技術にも詳しかったとされる弁左衛門自作の写真機により、切り取られた光景かもしれない。
「…」
  それにしても、不思議な写真だ。
  この時代の集合写真と言えば、緊張とシャッター開閉時間の遅さで無表情に出来上がった顔の侍達が、雁首揃えてずらりと居並ぶスタイルが相場だが、この写真には、その種の晴れがましさ、ぎごちなさが何処にも見当たらない。また、若者の中に女子供の姿が混じって在(あ)るのも珍しく、これではまるで、集合写真というより寧ろ ――
「 ―― 家族写真みてえだな…」
  ―― はんなりと優しげな笑みを浮かべた妙齢の女性が泣き面の赤子を抱いており、その傍らの青年が風車を手に、必死で赤子の機嫌を取っている。子供はもう一人、こちらは十歳前後の少年で、無精髭を蓄えた痩せぎすの男に肩車をされている。が、過度の子供扱いが不本意なのか、少年は男の髪の毛を引っ張り、早く下へ降ろせと喚(わめ)き散らしているようだ。また、等身大のポートレートをファインダーに収めようとの撮影者の意図が働いているらしく、その他の被写体もレンズに焦点を合わせてはおらず、各々の個性際立つ表情が生き生きと捉えられている。中でも、島田の眼を引いたのは、両脇から若者二人に挟まれて無理矢理に腕を引っ掴まれ、レンズ正面に立たされた男 ―― よく見ると斎藤に似ている ―― であり、魂が抜かれるのを危惧しているかのような弱り切った様子を晒している。
「…面白い連中だねえ、ったく…」
  果たして、この写真を撮影したのは弁左衛門か。或いは、この中に弁左衛門が存るのかもしれない。
「…」
  更に、この写真を一段と不思議ならしめているのは、微笑ましく、何処か懐かしい情景を焼き付けた印画紙の表面から一転、裏面をほぼ隙間無く埋め尽くす血痕の凄惨さだ。手傷を負い、誤って血を滴り落としたどころではない、血液で現像するが如く、印画紙ごと血溜りに浸したかのような赤茶けた広がりは、日常レベルを遥かに超えた出血量を物語る。よく見ると、写真の表にも、血を布地で拭い去った跡や指紋が僅かに残っている。
  果たして、この血、この指紋の持ち主は弁左衛門なのか。或いは、この中に存る、別の誰かの物かもしれない。
「…」
  島田は、暫くの間、写真の表と裏を交互に眺めてみた。写真に潜む背景に思いを馳せ、写真とからくりとを繋ぐ細やかな道筋を探り当てるべく意識を飛ばしてみる。が、一介の古道具屋の勘では、表裏の事象の落差に到底歯が立たず、如何なる説にも辿り着けない。
  只、この写真の一瞬後に何が控えていようとも、喩え、次の瞬間には大量の血が流れようとも、時間(とき)の断面に刻まれた刹那の『真実』は、偽物ではなく本物だろうと思う。
「…」
  それこそ、血液や指紋の付着した、この写真の分析が『真実』への最短距離となるには違いない。違いないが…
「…いや」
  いや、表立って認めたくはないが、ここは斎藤の言う通りだろう。必ずしも、真実全てに手を伸ばす必要は無い。
  謎は謎のままで。真贋を裁くだけが芸じゃない。
「…」
  島田は写真を引出しに仕舞うと、感傷を払うように、煙管を灰入れの縁で気味良く打った。


【解説】
  今を遡ること十数年前、京都旅行の途中。ふと見上げたビルの窓に探偵事務所の看板が掲げられており、“もし(新選組で)探偵物するんだったら、斎藤と山崎かなあ…”とぼんやり思い、その時に頭の中で作った大まかな設定を、今回掘り起こした次第です。元々は、こちらの現代版の設定が『Nameless Birds』のイメージの原型になってるんですね。あと、文中には出てきませんが、店(喫茶店)のマスターが山南で、土方が警部、原田が新聞記者、とか…(因みに、新ちゃんは山崎君の彼女です(笑))。性別、年齢共に設定はバラバラですが、中身は多少の変遷を踏んでいるものの、基本的に今書いているキャラクターと変わりません。特に、斎藤は初期設定からずっとこのまんま、時代(?)を超越したマイペース振りです。(070101)

監察と卵の五
作品