魔法使いの弟子
監察と卵

監察と卵の三
監察と卵の一
作品



二/五

「…御期待に沿えず、申し訳ありません」
  眼を白黒させ、口中に残る甘味の余韻まで、とことん洗い流さんと茶をガブ飲みする斎藤に、ひたすら御免なさいと頭を下げる吉村。
  他方、残る二人は何処までも呑気だ。
「あーあ、何も、無理に一口で食わんでもええのに」
「まるで『饅頭怖い』の実地を見てるようだなあ」
「わ、ホンマや。旦那、折角の落し所ですよ、ここで『今度は濃い茶が一杯怖い〜』て言わんと」
  河野の落語指南に、そこまで笑いに貪欲なのは河野さんだけです、と斎藤、むかつき感を和らげようと胸を擦(さす)る。と、
「!?あ…」
「?な、何や?」
「思い出しました、今日こちらへ伺った理由」
「理由?そんなのあったんですか。毎回、暇潰しに来てるんとちゃうんですか」
「ちゃうんですよ、一応。今日は、こいつをね」
  こいつを河野さんに見て貰おうと思って来たんだった、と斎藤が懐から取り出したのは、饅頭同様、赤子の拳程の小さな白い塊、ではあるが ――
「 ―― ?何やこれ?卵?」
「…ホントだ、卵ですねえ」
「うん、卵だな」
  斎藤の掌に鎮座する物体に注目すると、監察方三人、揃って同じ見解を口にした。
  ええ、まあそうなんですがね、と斎藤、件の品を河野に手渡す。河野は受け取り、手の中で転がすと、
「?何の卵やろ、大きさは丁度、鶉(うずら)のんを二回り大きいしたくらいやねんけど…?あれ?何やこれ、象牙の作り物やないですか」
  うわ、騙されるトコやった、かなわんなあ、もう、とぼやく。
「よく出来てるでしょう」
「ホンマに。 ―― へえ、こりゃ凄い、単純な作りやけど、どっこも手抜かり無いわ。腕利きの牙彫り職人が、仕事合間に拵えたって感じやね。けど…これって、あれでしょう?」
  元職人の眼力か、河野は単なる卵の正体を一目で見抜くと、旦那も物好きやなあ、と笑いながら吉村に回す。
「?何ですか?作り物の卵…子供の玩具とか?」
「にしては、無駄に精巧過ぎやねえ」
  河野がにやにやと仮初(かりそめ)の謎掛けを楽しむ傍らで、吉村は首を捻(ひね)る。
「文鎮にしては、ちょっと小さいし重さが頼り無いですし。只の置物ですか?」
「置物、に近いと言やあ近いかもしれへんけど。平面に置くには座りが悪いでしょ、何しろ卵やから」
「ええ、これじゃあ直ぐに転がって、他所(よそ)へ動いてしまいますよね」
「ほんならヒント。このままやったら、只の象牙の彫物やね。けど、端っこに紐通しの穴開けたら…」
「!?あっ、そうか、やっと分かりました。根付ですね?」
  やんなあ、旦那?と斎藤へ向き直り、正否を問う河野。
「御明察」
  流石は三代目大河内弁左衛門、良い眼をお持ちだ、と斎藤は満足気に口の端を片側だけ上げる。と、その途端、
「!?えっ、河野さん、からくり師の時の名前って、弁左衛門だったんですか?」
  吉村が弾かれたように声を上げ、身を乗り出した。
「?あれ?言ってへんでしたっけ?」
「初めて聞きましたよ!すごい、有名人じゃないですかっ!」
  平素より、吉村は喜怒哀楽に規制を掛けない男だが、それを差し引いても、ここまでテンションが跳ね上がるとは珍しい。
「へえ、そんなに有名なんですか。知らんかった」
  斎藤は感心し、よくよくと河野を眺める。
「弁左衛門と言えば、東西芸人番付の常連で、当世からくり師の中でも最高峰って聞いたことがありますよ?何しろ、戯曲や講談にしょっちゅう名前が出て来るくらいですから。えーと、題名は忘れましたけど、ある戯曲では確か、弁左衛門の作った弓張り人形が、あまりの出来栄え故に魂を宿して、弁左衛門を陥れた商人や役人を、次々と射(い)殺すんですよね?」
「ほお、そいつはおっかないですな」
  物騒な話の筋を、吉村が明るく朗らかに言い放つのを受け、斎藤は無意識に島田の反応を窺う。
  だが、島田の関心は目下、吉村の話ではなく食欲に向けられているようだ。暫し、眉間に皺を寄せ、饅頭を手に何事かを思案していたと思いきや、徐(おもむろ)にそれをぽんと湯呑に入れる。と、上から鉄瓶で湯を注ぐと、箸で突き崩し始めた。どうやら即席の汁粉(に似た何か)を拵えようとしているらしい。
「…」
  やれやれ、タヌキめ。斎藤は内心で舌打ちし、知らぬ存ぜぬを決め込む島田から視線を外す。これ以上眺めていると胸焼けがぶり返しそうでもあり、慌てて吉村等の遣り取りへ意識を戻した。
「…あと、雷で空に字を書いて遠方の人へメッセージを送ったり、雲に乗って千里を駆けたりするんですよね?」
  吉村の勢いに気圧され、先程の斎藤と同様、今度は河野が少々困惑気味のようだ。
「い、いや、それも、フィクションやし。まさか、本気にせんといて下さいよ。それに、面白可笑しゅうホラ話に祭り上げられてんのは、初代だけやからね。じーさんの時代は、誰もがからくりで夢見れてたから、そんな話も生まれたんやろうけど。も、俺の代になると零落(おちぶ)れるんもええトコですから」
  まあ、やから、新選組(ここ)に居(お)るんやけどね、とぺろりと舌を出す。
「?それって、からくりがもう廃(すた)れてしまっている、って事なんですか?」
「そやねえ。 ―― 悲しいかな、西洋から仰山、目新しい科学やら技術やらが雪崩れ込んでて、世間の眼がそっちに眩んでる時代にあっては、日本に昔っから在るからくりなんてのは所詮、時代遅れの子供騙しなんやねえ。夢を重ねられへんかったら、誰も見向きもせえへん、興行も打てへん、で、食い扶持も稼げへん、と。ま、こんな御時世やし、役に立たん半端モンに現(うつつ)抜かしてる場合ちゃいますやろうけど」
「?半端物?」
  再び首を傾げる吉村に対し、
「科学と呼ぶにはあまりに御粗末、やけども、芸術と認められる程の個性も無い。まあ、どっちつかずの蝙蝠(こうもり)みたいなモンやね」
  半端モンてのはそういう意味です、と河野は説明を締め括る。
「そうなんですか。私には、芸能の世界の事は良く解りませんが…河野さんも、ここへ来るまでに色々と御苦労されてるんですね…」
  晴(はれ)のち曇(くもり)のち、恐らく俄雨(にわかあめ)。表情の変化目まぐるしく、吉村は我事のような深刻さで顔を曇らせ、しゅんと項垂(うなだ)れる。
「い、いや、だから、そんな湿っぽい話、ちゃうんですってば。あー、もうっ、そんな景気悪い顔せんといて下さいよ、吉村さんっ。何でこんな話題になったんやろ…て、旦那っ、元はと言えば旦那がミョーなモン持って来るから…」
「へ?俺の所為?」
  素っ頓狂な声を上げる斎藤。が、そう言われれば、そんな気がしないでもない。しかも、弁左衛門の名を場に持ち出したのも他ならぬ自分だ。斎藤は素直に認め、頭を掻いた。
「はは、面目無い…いやね、その卵、中に何か入ってるようで」
「?」
  斎藤の言葉に、吉村は卵を耳元で軽く振ると、
「…本当ですね。微かにですが、何か殻に当たる音がします、でも硬い物ではなさそうな…」
  再び卵を河野の手に託す。河野も音で中身の存在を確認すると、どれ、と床に卵を置き、生卵を判別する要領で、回転を加えた。が、象牙の卵はふらつき、独楽のように重心を取る間も無く、よたよたと脇へ流れて止まる。
「…あれま」
  戯れに緩んだ表情から一転、河野は神妙な面持で懐から拡大鏡を取り出すと、卵の表面を入念に調べ始める。
「さて、どんなもんですかね、ホームズ先生」
  しまった、無駄に河野の職人魂に火を付けてしまったか、との心中の呟きを、軽口で紛らわせる斎藤。
「いやあ、こいつは厄介やで、ワトソン君…て、未だデビューしてへんし。 ―― それにしても、穴も継ぎ目も見当たらんわ。どうやって細工してんねんやろ…」
「ね、ちょっと面白いでしょう」
「ホンマに。これが黄楊(つげ)とかの木質やったらね、虫食いなんかを疑うんやけど」
「象牙は硬いですからね。虫もそうそうは歯が立たないでしょうなあ」
「やんなあ…うわ、悔し。タネが見抜けへんて、何やプライド揺らぐわ…旦那、どないしたんですか、この卵」
  それがね、と斎藤は再び湯呑を口に運ぶ。
「貰ったんですよ、行き着けの古道具屋で」
「貰(もろ)た?買(こ)うたんやなくて?」
「はあ。貰ったというか押し付けられたというか。何だかねえ、使い道に困ってるんだが…」
  きょとんとする河野と吉村へ、斎藤は何処か決まり悪げに卵入手の経緯を話して聞かせた。
  それによると、斎藤には元々、件の古道具屋で長らく眼を付けていた品が在った。根付である。
「?根付ですか?」
「ええ、卵のね」

監察と卵の三
監察と卵の一
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